藤清会の歴史 ■昭和21年2 藤井医院 開院 太平洋戦争中は海軍航空隊軍医長、軍医少佐であった大島出身の藤井豊前院長【前理事長】 開業当時は電気・水道・ガスなどのライフラインも本土より条件が悪い上に、
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■昭和27年 もく星号 墜落 事故が発生したのは4月9日、羽田発→名古屋・伊丹経由→福岡行きの便で、羽田を午前7時42分に離陸した もく星号は直後に消息を絶ち、翌日の朝に同僚機の「てんおう星号」(ダグラスDC-4)によって、伊豆大島の三原山山腹 に墜落しているのが確認されました。 この飛行機には、活弁士・漫談家の大辻司郎や八幡製鐵社長の三鬼隆などの著名人も登場していました。 また当時、飛行機は運賃が他の公共交通に比べ高い乗り物だったため、もく星号の乗客も社会的地位が比較的高い人間ばか りであり、日立制作所の取締役や石川島重工の役員、ハワイのホテル支配人、炭鉱主、国家公務員などがいました。 彼らを含む乗客・乗員37名全員死亡という、当時としては大規模な航空事故となりました。 当日、霧が濃く事故現場はなかなか見つかりませんでした。全貌が明らかになった時には、頭のない、手足がばらばら、 五体揃っていても全身骨折している死体など散乱。検死は藤井豊先生がお寺を利用し、夜を徹して行いました。 |
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■昭和36年 国民皆保険制度できる 健康保険がなかった頃、一般の方は、料金をお盆か年末にしか払わない習慣となっていたため、 |
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■昭和40年 伊豆大島元町 大火 |
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■昭和43年 新診療所設立。 元町3−1−8に新診療所を設立。X線装置、超音波、心電計、内視鏡、など少しずつ購入することができ、 |
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■昭和47年 冬木博子(現)看護師長、藤井医院へ着任 |
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■昭和52年 藤井豊院長 困難な環境下での医療活動の功績が認められた人に贈られる「医療功労賞」 |
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11月15日から始まった噴火は、玄武岩質のマグマを連続的に吹き上げる溶岩噴泉の |
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■平成4年 清水忠典(現)理事長、藤井医院へ着任。 (清水忠典理事長は藤井豊前理事長の甥) |
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藤井豊(前)理事長が退任され、新たに清水忠典理事長が就任。 |
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■平成11〜14年頃、町の病院建設構想 |
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■平成16年4月 藤井医院から藤清会(大島医療センター)へ 公設民営方式(開設者:大島町長 管理者:藤清会・清水忠典理事長)にて、大島医療センター開業。 常設科目として内科・外科・整形外科・小児科・産婦人科、臨時科目として、耳鼻科・皮膚科・心療内科・眼科を揃え、 また、電子カルテや医事会計コンピューター、受付・会計機、待受表示システムなど、 そして、これを機会に、法人名を「医療法人社団 藤井医院」から「医療法人社団 藤清会」に変更し、 |
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■平成16年10月 藤井佑二(現)副院長、藤清会へ着任 (藤井佑二副院長は藤井豊前理事長の次男) |
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■平成19年1月 冬木博子看護師長 困難な環境下での医療活動の功績が認められた人に贈られる「第35回医療功労賞」 |
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■平成22年12月9日 へき地医療に尽くし、勲五等旭日章、勲四等瑞宝章、厚生大臣、自治大臣、東京都知事 |
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■平成24年4月 藤井佑二副院長が大島医療センター院長に就任 |